アイデア募集



教育現場改善活動アイデア募集のお知らせ

 

文科省や学校の先生だけに子供達の教育を任せておいてよいものでしょうか?

戦後の自虐史観が色濃く残る教育界にあって、危機感を共有する国民の皆様と連帯し、少しでも教育現場の改善につながる活動の輪を拡げて行きたいと考えております。

そこで当法人では、ネットを通じて広く皆様からのアイデアやご意見を集め、それを具体的な形にして、教育現場に生かしていきたいと考えております。

採用させていただいたアイデアにつきましては、薄謝を差し上げますとともに、当HPにてで公開させていただきます。

また、実現に向けて、我々の組織力を総動員して参ります。

尚、応募につきましては、下記の入力フォームより受付けております。

 

<教育現場改善活動テーマ>

・学校でのいじめをなくすには?

・詰め込みでもゆとりでもなく何をどう教えるか?

・先生の事務的負担を軽減するには?

・教育研究会という名の授業放棄をどうするか?

・学校全体、地域全体の学力の向上を目指すには?

・子供に学校を好きにさせるには?

・モンスターペアレントをなくすには?

・その他(独自のテーマも受付けます)


◇応募フォーム

メモ: * は入力必須項目です


<教育現場改善活動アイデア紹介コーナー>

■2019/7/15投稿 匿名様

 

教育現場改善テーマ: 学校でのいじめをなくすには

 

あなたのアイデア: 小学生、中学生の段階で、禅寺でのご修行を学校のカリキュラムに入れることを、提案いたします。

 

掃除機を使わずに箒を使う。モップを使わずに雑巾を使う。

子供たちは、自分の体を使うことの貴さを経験できていないように思います。

真冬でも早朝に起床して、冷たい水を使って心を込めて掃除することで、もの(対人も含める)に対する想いが変わるように思います。自分のそれまでの生活が如何に恵まれているか、体感的に分かるようになるのではないでしょうか。それによって、親に対する感謝の思いも、早い段階で芽生えることでしょう。

 

彼らには、いじめで傷つけた相手の気持ちを慮る想像力が育っていない為に、家庭などでのうっぷんが溜まると、学校や近所で自分よりも弱い者を虐げることによって、精神的なバランスを取っている面があると思います。

それをしなければ、彼ら自身が精神のバランスを保てない。そのような現象が家庭内で起きているのだと思います。一方的な価値観を押し付ける親、子供の思いに耳を傾けない親、良かれと思い、躾だと思って、間違った「教育」を施す親に対する不満が高じて、そのうっぷんが同級生に向かうのだと思います。

それを防ぐには、相手に対して想いを致す想像力を育てる必要があります。

 

動物を飼えない生活空間と、三世代同居が少なくなったために、「死」というものを体験する機会が奪われていることも、「命」についてバーチャルな世界でしか感じられない=実感が伴わないことが、いじめを誘発させる遠因になっていると思います。

 

学校で行っている野外活動は、キャンプや修学旅行などに限られています。

忍耐力、精神力などに特化した活動は、ほとんど無いに等しいのではないでしょうか。

「やる前にNOと言わずに、何かをやり通す体験」が、子供たちに欠けているように思います。

スマホやゲーム機器等を手離した空間に一定期間身を置くことで、学ぶことは大です。

何でも手の中で調べればそこに答えがある。そういう環境は、自分で考える力をつける機会が奪われてしまいます。

また一時期子と離れて暮らすことは、過干渉で子供を苦しめている、親の良き経験にもなることでしょう。

 

自分の意志を傍らに置いて、ルールに従った生活を体験することは、重要なことと考えます。

現在の学校教育は、自由と平等ばかりを叫んでいるように思いますが、社会に出たらまず初めにそれが妄想だという体験をして、打ちのめされるのが現状ではないでしょうか。

人生とは環境が決めるのではなく、自分で切り開いていくものだ、ということがやがて体感できるように、まずは小学生、中学生の段階で「禅寺での修行」を通して「やり通す」体験をする機会を作ってあげられたらと思います。


■2018/2/27投稿 匿名様

 

教育現場改善テーマ: 詰め込みでもゆとりでもなく何をどう教えるか

 

あなたのアイデア: 私の提案は教育の在り方を根本から見直すものになります。もしかすると、唐突に感じられるかもしれません。しかし、日本の国民生活を再建するために必要な改革であると信じておりますため、ご検討いただけると幸いです。

 私の提案とは、教育において学問よりも「実学」を優先させるべきだと言う提案です。これは「詰め込み」でもなく、「ゆとり」でもない新しい提案です。数学や英語、その他学問の優先順位を一時的に下げてまで、「実学」を充実させるべきだと考えます。私の主張する「実学」の具体例とは次の通りです。掃除や洗濯、料理といった家事の技術。性教育や基本的な応急処置と言った保険の知識。税制度や社会保障制度、あるいは自治体ルールなどの行政の知識。交通ルールや列に並ぶこと、椅子に座ることなどの集団行動に訓練などです。これらの「実学」は学問のつめこみよりも優先して教育されるべきだと考えます。

 もちろん、家庭教育で行うべき案件だと思われるかもしれません。しかし、共働きや祖父母との分断などが原因で家庭教育が貧弱になっている現状があります。公教育でまず教えるべきなのは、基本的な生活の知恵ではないでしょうか。日本人のすべてが数学や英語をできる必要はありません。コストの面から言っても勉強が苦手な生徒に無関係な学問を教育するのは無駄です。「詰め込み」への批判も、無用な暗記で若者の時間が浪費されることが大きかった。学問は必要な人材が学べばいいはずです。ですが、生活の知恵は日本国民のだれもが必要としています。それが公教育ならば、誰もが必要とする最低限の知恵を教育するべきではないでしょうか。

 私は子どもたちが「西洋教育」によって評価される現状を嘆いているのです。数学や英語の学力はあくまでも指標の一つにしかすぎません。その指標に固執して「詰め込み」することは本末転倒ですし、反発して「ゆとり」にすることもまた間違っています。教育の本質とは、国民を豊かにするためのものではないでしょうか? 明治の初期には、教育による科学的な知識で迷信を打ち払う効果がありました。しかしそれは農村に生活基盤があってこそ、子弟を学校に送り出すことができたのです。一方で現在では国民は合理的に行動しますが、思想や学問が先行して生活基盤がおろそかになっています。教育が国民を豊かにするものならば、国民にかけている生活を再建する知恵を教えるべきではないでしょうか。